●To TOP

To 前頁


日本軍「慰安婦」の祈念碑建立

東海林路得子

宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会(宮古・沖縄・日本・韓国)によって9月7日に記念碑の除幕式が行われた。(当時6万弱の人口の島に3万の日本軍が投入されていた)

宮古の高校生吹奏楽団による音楽「芭蕉布」の演奏の間に、祈念碑と「アリランの碑」の除幕がおこなわれた。
祈念碑には「女たちへ」という文字の下に碑文が書かれている。それは、この碑が建てられた経緯、なぜ12の言葉で祈念の言葉が書かれているかの理由、そして「故郷を遠く離れて無念の死を遂げた女性たち、戦後も苦難の人生を生きる女性たちと連帯、彼女たちの記憶を心に刻み、次の世代に託する」と書かれている。

そしてその両側に12の言語で、この決意が書かれている。この中には現在も戦時下の性暴力が続いていることを示すため、韓国側が加害者となったベトナム語も含まれている。

「アリランの碑」は与那覇さんという男性が洗たくの帰りに休んでいた「慰安婦」のことを忘れられず、自分の土地に大きな石を運び置かれたものである。

それぞれ特徴のある挨拶がなされたので簡単に紹介したい。

あいさつ

高里鈴代さん:歴史から消そうとされている中で、建立の意味は大きい。この思いを引き継ぐことが重要。

中原道子さん:被害者に優しかったこの島に碑が建てられたことがうれしい。

ユン・ジョンオクさん:日本軍により耐えきれないほどの苦痛を味わった女性たちを心から悼み、彼女たちがこの碑を見たとき少しでも心が安らぐことを願う。

与那覇博敏さん:歴史的事実を認め、若い人に伝える碑を建てたかった。この場所で、彼女たちが洗たくの帰りに休んでいたことを覚えている。

伊志峰亨さん(市長):日本人・全人類が心に刻みつける大きな機会となる。人類の平和の実現のために発信地となりたい。

友利恵勇さん:「慰安婦」とされた人たちの魂に手を触れることができた。この心の波が世界に広がるように。

ユン・ミヒャン挺対協代表:このような美しいプレゼントはこれまでに初めて。若い高校生のみなさん。堂々と証言した宮古のおじいさんやおばあさんがいたことを自慢して伝えてください。

最後に朴順姫ハルモニが「アリラン」を独唱し感謝の意を表した。それからみんなで歌い、碑の周りに植えるキキョウを献花して終わった。

<朴 順姫ハルモニの証言>


除幕式に先立ち、朴ハルモニの証言が行われ、120名の参加者があった。

ハルモニは16歳の時元山(現在北朝鮮)から連行され、6年間にわたって中国で性奴隷を強いられた。抵抗した時の傷跡が今も残る。自分のところに多くの日本軍人が並んだということや、当時のつらい思い出を語る時、涙ぐみ、あるいは胸を抑え、休憩するなど、今もなお、トラウマが消えず、その苦痛の深さを感じざるを得なかった。かなりの監禁状態で、外に出たのは性病検査のみであったという。戦後帰国する時混んでいた列車に押し上げられて乗ろうとすると、そこに家で一番美しかった妹がおり、妹までも―と非常にショックを受けた。帰宅すると父親が衝撃の余り亡くなった。家は旅館で貧しくなかったと語った。

その後ユン・ミヒャン挺対協事務局長から、234名の申し出のあった被害女性のうち、現在の生
存者が98名となったこと。92年1月8日から始められた水曜デモが阪神大震災を除いて続けられ現在828回となったことなど、闘いが続いているとの報告があった。

ユン・ジョンオクさんからは、日本がいまだ事実認定も謝罪も、補償もせず、自分が望んできたのは遠い道のりかもしれないと思えてきた。最も苦しんだのは「アジア女性基金」の問題で、事実をうやむやにし、免罪符としてしまうことに怒りを感じた。今までの歴史・植民地時代のもっとも暗い時代に最も苦しめられたハルモニは歴史の主人公であると思っている。このハルモニを無視したのが国民基金であると批判された。

参照:
沖縄タイムス  http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-09-08-E_1-007-2_001.html?PSID=cfcaf2e0f6a9897fbe4c340ee04e4c66

琉球新報:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136046-storytopic-1.html 
    http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136016-storytopic-1.html
共同通信:http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090701000478.html



日本軍「慰安婦」問題行動ネットワーク

inserted by FC2 system